価値を計測する試みに関する本の話

会社

やったこと

会社と言う迷宮と言う本を読んだ。

この本は以前から気になっていた本で進めているというか今読んでいる最中の本だ。
この中で価値についての話を読んでいて、気になった内容があったのでここで少し触れておこうと思っている。

わかったこと

計測は価値を測る

まず、会社活動の中でいろんなことを計測する。
計測はなぜしているか、というと価値を測っている。まあ、価値を測っていないこともあるが。

価値は主観的なものなので、客観的に議論することができない。
なので、客観的なものにして、議論するために計測する。
計測することで価値を客観化しようとしている。

間違ったものを測っても価値はない

そもそも、価値があるものを客観視するために、計測するのであって、価値がないものをどう測っても価値がない。

間違ったものを測っても価値がない。

価値は主観的だから計測して客観的にする

繰り返すが価値は主観的なものであり、議論できない。
だから計測して客観的なものとしてみる。
計測により価値を客観的なものとして捉える。

計測して客観的になったから公正とは限らない

計測することで価値を客観視しようとする。人事評価でもいろんな指標を計測して評価する。
ただ、計測し他からと言ってその評価指標が公正なものであるとは限らない。
そもそも計測指標を決めているのは誰か、計測指標から評価へと変換しているのは誰か。

指標を与えられて計測するのは価値を測っているのではない

会社が成長するほど、指標を誰かが作って別の人が計測する。
実際に測っている人は、価値を測っているのではなくてデータを集めているだけ。
データを見ている人は、価値を客観視しようとしているのではなくて、データの傾向を見ている。

そもそも何を見ていて何を判断しようとしていたのか。空っぽになっていく。

踏まえて

何が言いたいのかわからないかもしれないが、印象に残ったことを書いた。

ここまで書いて何を自分が言いたかったのかを思い出した。
自分が会社員として働いていた際、自分があらかじめ用意された人事評価指標のみによって評価されることがあった。
そこに自分がやっている仕事を表す指標がなかった。当然だ、自分と同じことをやっている人がほとんどいない。

その結果、自分のやっている仕事は評価されなかった。価値がないとみなされた。ただ、実際は価値があるものだ。自分がいなくなれば別の人がやるし、それによって顧客が喜ぶ。これを価値があると表す。

人事評価制度について文句を言ったこともあったが、文句を言うのであれば、しかるべきプロセスで指摘を出して改善せよ、との話が挙がった。違う、そうではない。

自分が評価されるために、人事評価制度を訂正するようにするのはなんか違うだろう。評価したいのは誰だ。実は、評価したい側は正しい評価をしたいわけではないのかもしれない。ただ単に、正しいと思われる評価をした、ということをアピールしたいだけなのかもしれない。そう考えると、自分が直面した状況の意味がわかる。

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