前提・やったこと
「新しいことをしても面白がる人との交流が減った」ということに気づいた。
この状況について改めて向き合ってみた。
わかったこと
全ての人が新しいことを面白がるとは限らない
自由に人間関係を構築していた学生時代と違って社会人になってから自分で付き合う人を選べなくなった。
その結果、色んな人と付き合っていくことになったが、その中で「全ての人が新しいことを面白がるとは限らない」ということに気づいた。
今までも知っていたが、改めて認識することになった。
多くの人は新しいことをしている人を懐疑的な目で見る
新しいことを面白がらない人が新しいことをしている人をどう見るか。
それは、懐疑的な目で見ることになる。見たことがない何かを見る目で見る。
不審者や異物を見る目で新しいことに取り組む人を見る。
懐疑的な目で見られると新しいことをやる意識が削がれる
新しいことをやるのが好きであったりそれを面白がっているからといって、懐疑的な目で見られるのが好きなわけではない。
自分の場合も、新しいことをやって、今まで体験したことのない状況になるのが好きだったり楽しかったりするが、その中に懐疑的な目で見られることは含まれていない。
新しいことをやって懐疑的な目で見られると、なんか活動する気を削がれる。
新しいことに取り組んでいないと面白いことに出会えない
新しいことをやる気を削がれて、活動量が減っていくと、面白いことに出会えることも減っていく。
面白い、とは何か、というと一つの条件として新規性が挙げられる。
新規性のあるものを探索するためには、新しいことに取り組まないといけないが、それは懐疑的な目で見られる。
それをなんとか突破しないといけない。
次にやること
懐疑的な目で見られることを減らす一つの方法は新しい物好きのコミュニティに入ることだと思う。
人とコミュニケーションをしているから新しいとか面白いということに気づくこともあるので、一人で活動するのはあまりいいと思えない。
しかし、懐疑的な目で見られるのは辛い。
他に、一人で活動する時間を増やすのも対策になる。
一人で活動していれば、懐疑的な目で見られていようがあまり気にならない。
自分の場合、周囲のコミュニケーションしている人の反応から自分の状況を認識するので、一人で活動している場合は何も気にならなかったりする。